谷崎潤一郎 新々訳 源氏物語 書き起こし

谷崎潤一郎 新々訳 源氏物語の書き起こし

新々訳源氏物語序

 今から三十年前、昭和十年の九月に、始めて源氏物語の現代語訳という仕事に取り組み出してから、十六年の七月に二十六巻本の旧訳を訳了し、二十九年の十二月に十二巻本の新訳を訳了したので、今度の新々訳は三回目の翻訳である。というと私は、いかにも源氏きちがいのように思われそうであるが、その実そんなに源氏のことばかり念頭にあったわけではない。長いこと源氏のことは忘れていた時代もある。しかるに先般、中央公論社が」「日本の文学」の第一回として私の作品集を出版するに当り、枉(ま)げて仮名遣いを新仮名にすることを承諾してくれと言われて、津に私は節を屈することになった。それが今回源氏の新々訳を思い立つに至った事の起こりである。
 古くは与謝野夫人の訳を始めとして、今日では源氏物語の現代語訳は数種類ある。今さら新々訳でもあるまいといわれそうだが、翻訳者の身になってみればそうでもない。私以外の翻訳者の訳文は皆新仮名遣いになっているのに、私のものだけが旧訳も新訳も旧仮名になっている。すでに私の創作集の一部が「日本の文学」の一冊として新仮名に改められて発行され、やがてはその続刊も発行されようとしているのに、谷崎源氏が依然として旧態を墨守(ぼくしゅ)し、そのために若い読者層から疎(うとん)んぜられているとすれば、翻訳者の私はやはり寂しい。私とすれば一人でも多くの人に谷崎源氏を読んでもらいたいのが本心である。それでなければせっかくの仕事の意義がない。
 それから、旧仮名を新仮名に直すついでに、穏当を欠くと思われる解釈はつとめて書き改め、最近の専門学者たちの研究を参考にする意図もあった。次に難解な漢字はせいぜい使わないようにもしたかった。昭和二十九年に訳了した十二巻本の新訳は、二十六巻本の旧訳に比べればあれでもよほど現代人に分かりやすいように、丁寧すぎる敬語等を省いて簡潔を期したのであるが、近頃の人にはあれでもまだ丁寧すぎ、廻りくどすぎるきらいがあるので、できることならあれよりも一層敬語を減らしたかった。しかし、敬語は日本語独特のもので、われわれの言葉の美点でもあり、人情風俗心理等にも関係するところが多いので、それを全く捨ててしまうことは不可能である。ただどの程度に保存したらいいか、その兼ね合いがむずかしい。人によっていろいろの意見があろうが、私は私の物差をもって測ることにした。
 物差といえば、敬語の問題ばかりでなく、源氏の現代語訳にはさまざまの物差が要る。過去の幾種類かの翻訳者にはいずれもそれぞれの長所があって、大いに参考になるのであるが、私の場合、この作品は平安朝の上流の女性が作った写実小説であるという点に最も重きをおいて訳した。現代人に分からせることは大切であるが、そのためにみだりに意訳を試みて平安朝の気分を壊すことをしなかった。旧訳の序で述べた通り、「これは源氏物語の文学的翻訳であって、講義ではな」く、「原文と対照して読むためのものではない」のであるが、でもそのことは、「原文と懸け離れた自由奔放な意訳がしてあるとか、原作者の主観を無視して私のものにしてしまってあるとかいうような意味では、決してな」く、「少なくとも、原文にある字句で訳文の方にそれに該当する部分がない、というようなことはないように、全くないというわけには行かぬが、なるだけそれを避けるようにし」てあるので、「原文と対照して読むのにも役立たなくはないはずであり、この書だけを参考としてでも、随分原文の意味を解くことが出来るようには、訳させていると思う」のであって、その点は前二回の翻訳と同様である。
 旧訳の時に私を助けてくれた長野草風画伯と相沢正氏とは、中央公論社の前社長長嶋中雄作氏とともに新訳出版の時にはすでに亡く、ひとり山田孝雄博士のみ健在であったが、今や山田博士も逝き、かろうじて生き残っている私も七十八歳である。ただ幸いに第一回の旧訳以来校閲の任に当たって下さった山田博士と、新訳の時の玉上博士との業績があるお蔭で、この新々訳の仕事がどんなに餘沢(よたく)を蒙っているかもしれない。前回の時に玉上博士とともに力を貸してくれた榎氏と宮地氏の労も忘れられない。ところで今回は中央公論社中の滝沢博夫氏と伊吹和子氏とがこの老骨を助けて、往年の榎氏と宮地氏の代わりをしてくれることになったが、あまり多くの人の力を借りないですむようになったとすれば、これもひとえに過去の先輩や新進学徒諸子の積み重ねられた業績に負うのである。
 地模様、装釘(そうてい)、題簽(だいせん)、中扉の文字等については、旧訳の際の長野草風氏を始めとして、前田青邨氏、尾上紫舟氏、田中親美氏、小倉遊亀氏、町春草氏、谷崎松子等々、版を新たにする毎に執筆者を変えることにしていたので、今回は特に乞うて安田 彦氏にお願いし、装釘と題簽と中扉の文字とを揮毫(きごう)していただくことにした。そして、地模様を廃して、昭和三十年出版の五巻本以来用いている十四画伯の手になる五十六葉の挿画を、今回も使わしていただく。これは安田 彦氏、前田青 氏以下東西の著名な一流画家が各々(おのおの)四葉ずつ作品を寄せられたもので、現代いかに版を新たにしても、これ以上の源氏絵巻は他に求め得られないからである。

 むらさきのゆかりの色にもえいでし
   花のえにしのわすられなくに

昭和三十九年十月
  湯河原 おいて
      潤一郎しるす